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Posted by ミリタリーブログ  at 

2017年12月20日

ハイドリヒの徽章類について

お久しぶりです。今回は久々の軍装ネタです。

そう、1/7に撮影会があるので、今回はハイドリヒさんの準礼服姿(おそらくあったであろう???)
で参加しようと考えています。




ハイドリヒさんってもう数か月単位で勲章が変わっていたのではないでしょうかね?

もう、バリエーションがありすぎて意味不明です。

準礼服って戦争が始まる1939年以降は公の場では着用禁止命令が出ていたそうですが、
小規模のパーティとかでは着られていたそうです。

しかし、戦争中にパーティなんて不謹慎すぎるので、出来れば連勝していた時代にしたい

ってことで1939年から1940年時代のを再現したいと思います。

1939年台の再現をするのであれば、9月以前のを再現すべきであると思います。
(9月からハイドリヒさんはWW2が始まってお空を飛び回るので)

となると
・古参闘士名誉章(アルターカンプ)
・中将前期襟章
・シルバーカフタイトル
・SD章 フチなし
・将官用鷲章
・乗馬章(銀)
・スポーツ章(銀)
・一般党員章
・黄金ナチ党員バッチ
の組み合わせが無難でしょうかね

次に1940年台を再現するとなると、
・古参闘士名誉章(アルターカンプ)
・中将前期襟章
・シルバーカフタイトル
・SD章 フチなし
・将官用鷲章
・乗馬章(銀) なくてもよい
・スポーツ章(銀) なくてもよい
・二級鉄十字章
・黄金ナチ党員章
・パイロット章(縫い付けタイプでも可)
・一級ダンツィ十字章(写真で確認が取れているのは、大将になってからだから
  つけないのが無難?)
・ 空軍前線飛行章―昼管戦闘機章(銅) 
    (画像での確認がとれていないのでつけないのが無難?)
ですかね~

リボンバーは準礼服につけないのでその点はクリア

まだまだ、調べないと分からないのでこれからになりますね。

1938年



黒服時






1940年時




以下にうんちくを記載します。

ラインハルト・ハイドリヒ

階級
•1931年7月14日 親衛隊少尉
•1931年8月10日 親衛隊中尉
•1931年12月1日 親衛隊大尉
•1931年12月25日 親衛隊少佐
•1932年7月29日 親衛隊大佐
•1933年3月21日 親衛隊上級大佐
•1933年11月9日 親衛隊少将
•1934年6月30日 親衛隊中将
•1941年9月24日 親衛隊大将及び警察大将

受賞
1930年代       一級ドイツ赤十字勲章
              ドイツ国体育同盟乗馬章 (銀)
              ドイツ国スポーツ章 (銀)
              突撃隊スポーツ章 (金)
              親衛隊全国指導者名誉長剣
1933年 12月24日 親衛隊名誉リング(基本亡くなるまで着用、死亡時は返還)
1934年 2月     古参闘士名誉章(アルターカンプ)
1935年 12月16日 冬至祭燈台(冬至祭(クリスマス)
1936年        一級オリンピック勲章
1938年        1938 3/13記念メダル
1939年1月30日   黄金ナチ党員バッジ
1939年3月22日  1939 3/22 メーテル返還記念メダル
1939年9月以降   パイロット章
1939年台       一級ダンツィ十字章
             10/1 記念メダル
1940年5月      二級鉄十字章
1940年6月?    空軍前線飛行章―昼管戦闘機章(銅)
1941年7月      一級鉄十字章、空軍前線飛行章―昼間戦闘機章(銀)
1942年5月9日   戦傷章(金)追贈
1943年6月9日   血盟勲章、ドイツ勲章 死後追贈


親衛隊時代

1931年5月31日の翌日6月1日付け
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党
(党員番号544,916)
1931年7月14日  ハンブルクの親衛隊(SS)に配属される(親衛隊隊員番号10,120)
1933年3月21日  ミュンヘン警察政治局長に任命される。
1933年4月1日  バイエルン州政治警察部長
1934年  長いナイフの夜→親衛隊中将になる。
1936年6月17日  保安警察(ジポ)の長官に任命される。
1939年9月1日  ポーランド侵攻が開始されるとハイドリヒはブルーノ・レールツァー空軍少将(当時)
            に頼み込んで自らを第55爆撃機団(KG55)所属の空軍予備役大尉
            (Hauptmann)(後に少佐(Major)に昇進)にしてもらう。
1939年9月27日  ヒムラーの布告により、ハイドリヒの支配下にあるSD(党組織)と保安警察
            (国家組織)は統合。親衛隊内部に「国家保安本部」が立ち上げ、
            ハイドリヒはそのトップに任じられる。
1939年~      シュターケンの飛行場で戦闘機パイロットとして訓練を受け
            (パイロット章受章)
1940年4月     ノルウェー戦線には第1飛行隊(JG1)所属のメッサーシュミットBf109の
            パイロットとして出撃した。(偵察兼)
1941年6月     独ソ戦の東部戦線では単独飛行でソ連軍の対空砲火を撃破する
活躍をしており、一級鉄十字章を叙勲している→(飛行禁止命令)
1941年9月23日  ハイドリヒは、ヒトラーによりベーメン・メーレン保護領(チェコ)の副総督に
任ぜられた→(プラハの虐殺者)
1941年9月24日 親衛隊大将及び警察大将に任命。
1942年5月27日  襲撃される(暗殺)
1942年6月4日  襲撃におけるケガの感染症により死亡
          (死後、ナチ党の最高勲章であるドイツ勲章と1923年11月9日記念メダル
が追贈される。)
  

Posted by まろんぽこ  at 07:54Comments(0)SS

2016年10月19日

M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)




 あさがきた~。食ベ物のおいしい秋が来た~
 今日もげんきもりもりリ~、いっぱい食べた、でぶでぶりんのポこちゃんだす。
今回はSSをはじめてようやくできた自分の野戦服について書いていくよ―――――――――


M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)






設定としては、1939年の東部戦線、ラプシュタルダーテ・アドルフヒトラー師団の上等兵にしました。

一級鉄十字章がついていますが、これは部屋においておき、紛失してはこまるので付けているだけです。
                 サバゲー時などは外します。

ではこの服装をするにあたってのうんちくをレポートとしてまとめておきましたので、列記します。


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武装SS隊員数が急増した1939年末には、 武装SSは陸軍が着用しているM36野戦服の大量採用することを余儀なくなった。M36野戦服にSSの徽章をつけた野戦服が1939年から支給されるようになり、この野戦服をM40野戦服と呼んでいる。実情は陸軍M36野戦服の使いまわしになっているため、陸軍の襟のでダークグリーンになっている物もある、陸軍野戦服も1940年以降に生産された物は襟がフィールドグレーになっている。SS被服工場でも、M40野戦服に準じた野戦服が製造されていたため、武装SS用として襟をフィールドグレーにして製作していた。
もともとSS被服工場は、ダッハウ強制収容所にしかなかったが、1940年にラーフェンスブリュック強制収容所にも置かれるようになったため、第二次世界大戦のときに収めた勝利によって占領地にもSS被服工場が続々と置かれるようになった。そして1941年にはSS被服生産体制が整ったため、陸軍に頼ることなくSS独自で野戦服を支給できるようになった。いまから武装親衛隊員(上等兵)のM36野戦服について考察していく。
 



1940年の東部戦線時における二級鉄十字章の勲章授与式の写真である。
実際に当時の武装親衛隊兵士はM36野戦服を着用していた事が見て取れる。これから細部について順に見ていく。





 ➀カフタイトル (ライプシュタンダンルテSSアドルフヒトラー” LAH)
このLAHのカフタイトルの様に、部隊名を記した物を付ける事は名誉であり、訓練前の兵には付ける事が許されていなかった。したがって、これらのカフタイトルは部隊で付けられたと言われている。(訓練終了後にカフタイトル付きの被服が支給されるので、製造段階で付けたとする説もある。)また、名誉を損なう様な行為が行なわれた場合には、カフタイトルを剥奪される事があった。通常カフタイトルは、右袖の下から15cmの位置に付ける事とされていたが、当時の写真 を見ると必ずしも正確には守られてはいなかった。
また、RZMタイプのLAHのカフタイトルもあり、これは2ndタイプとされるカフタイトルで、1934年5月5日に導入された1stタイプのカフタイトルに刺繍されていた文字は、
筆記体では無くゴシック体であった。つまり、1939年装備は初期型を選択する必要があると言える。                                    

 



 ②アドラー(国家鷲章)
 LAH初期の国家鷲章
1935年の中頃に登場した、SSVT用のI型野戦被服鷲章で、上のモール刺繍製が将校用、下のウール地に機械刺繍で作られた物は下士官・兵用である。この鷲章の制定は1936年3月であった。 前述の様にこの鷲章は、武装SSの前身となったSSVTの被服に付けられた物で、LAH用に作られた訳ではない。デザインは国防軍の国家鷲章と異なるが、SSは正規軍では無いため、国防軍の国家鷲章を使用する事ができず、ドイツ国鉄用の物であった鷲章を流用したためであったと言われている。SSの黒服にはドイツ国旗を模した、赤地に白丸、白丸の中に黒のスワスチカを配した腕章が付けられており、SSの戦闘部隊はこの腕章の上下に黒い線を付けた物が使用されていた。

比較的初期(1936~37年頃)から見られる刺繍タイプのII型のSS下士官・兵用国家鷲章。この国家鷲章は、黒のウール台布に、レーヨンの白糸で刺繍されている。SSの国家鷲章にも多くのバリエーションが存在するが、刺繍タイプの他にBEVOタイプも作られていた。

機械刺繍II型のバリエーション。
黒のウール台布に、レーヨンのライトグレーの糸で刺繍されたSS用の国家鷲章。
胴体の太さや羽の形状も異なるが、この刺繍タイプII型はバリエーションが多く存在する。

 下士官・兵用国家鷲章(BEVOタイプ)
1939年頃に登場した、BEVOタイプの下士官・兵用鷲章。 黒地にライトグレーの織り出しで、将校用にはシルバーの糸が使われていた。画像下は1942年頃に登場した熱帯服用、BEVOタイプの下士官・兵用鷲章。このSS用国家鷲章は、黒の台布にイエロータン色のレーヨン糸で織り出されているが、熱帯服以外に44年型迷彩服にも付けられていた。未使用のBEVOタイプのSS用国家鷲章には、裏側にRZMの紙タグが貼られている。
 以上より1940年装備はBEVOタイプを選択すると適切であると考えられる。

③階級章
 階級章に関しては基本は普通の武装親衛隊の規定どおりに襟章、肩章、Vシェロン、カフタイトルを付ければよい。徽章を縫い付ける際、アドラーとVシェロンの隙間は2センチ、カフタイトルは袖下から15センチの所に配置するなどと規定があるので、その辺は注意する必要がある。ただし、LAH師団の肩章は他と異なる。                                                                








④肩章(LAH師団)
兵用肩章(4型)LAHの肩章は最初に採用された1型の縁取り付きの角型肩章で、2型はラウンドタイプになったが、肩章の縁取りは黒と白のより紐が使われていた。
 その後採用された3型は縁取りのない角型肩章で、この服につけられている肩章は4型ということになる。この肩章は、1938年末から1939年初頭にかけて導入されたと思われるが、1939年12月にはLAHの文字が小さく、フォントも異なる新型肩章が導入された。                           
  下士官、兵用スリップオンタブ                                                                                                             
SS歩兵科兵卒用の1942年型肩章と、LAHのスリップオンタブ。LAHの組み文字は初期においては肩章に直に刺繍されていたが、防諜上の理由で脱着式の物が採用されたと言われている。しかし、実際には袖のカフタイトルでも部隊を特定できるので、脱着式にしても意味は無く、おそらく生産性が理由であったと思われる。 事実写真で見る限り、末期においても多くの兵は、前線でこのスリップオンタブを誇らしげに着けていた。以上より1939年装備をするにあたっては、刺繍タイプ(4型)を選択するのが適切だといえる。


以上より、カフタイトルに関しては初期型を、アドラー(国家鷲章)に関してはBEVOタイプを、肩章に関しては、刺繍タイプ4型を
 選択すればいい結論が出た。


今から寒くなっていくので、この服が活躍できますね。ではまた

  

Posted by まろんぽこ  at 09:57Comments(0)SS

2016年10月18日

ドイツ軍料理 アイントプフ

 こんにちは、中の人です。

 宮崎の土日の雨率は大変多いですね。サバゲー行きたくても天候や私用により
いけないのが大変悲しいです。

て感じで最近ストレスがたまりがちな私は今回、料理でも作って気分転換することにしました。(笑)

今回はドイツ軍の野戦料理でよく出された、「アイントプフ」もどきを作ってみました。
 材料はジャガイモ(メークイン)、ニンジン、玉ねぎ、ウインナー(今回は牛肉の代わりに使用)と
味付けにコンソメスープの素を使って作ってます。




単に作って食べるならつまんない!!!!!!!!
   (変な気を起こします。)




 食料配膳を待つ私!当時の兵士はコーヒーが好きだったらしく、水筒にコーヒーを入れてもらっていたそうです。






 
食事中の私(完全にバカです。笑)銃剣でパンを切っている画像がありますが、当時も銃剣は
 人を殺める道具よりはそちらの用途のほうが多かったそうです。
  (画像のkar98k銃剣はレプリカの切れない合法品ですのでご安心を!)

追記;銃剣を使った場合もあったが、私物のナイフで切り出していた方が多かったとのことです。(通りすがりさん提供)


案外当時の雰囲気で食事するのは楽しいものですね。Aber heute guter Tag!



  

Posted by まろんぽこ  at 12:23Comments(2)SS

2016年10月06日

1945年 ベルリン市街戦装備




 みなさん、こんちくわ。ぽこちゃんだす。(*^-^)/\(*^-^*)/\(^-^*)
 今回は、たまたま某フリマショップで購入したM44野戦服が届いたのでサバゲー向きな装備をしてみました。

    





 時代設定としては、1945年ベルリン市街地戦におけるSS機関銃手(二等兵)です。
 m44野戦服着てみた感想は、実に軽くてサバゲー向きです。ボタン、生地などもしっかりしていてサバゲーで多少無理しても大丈夫そうな作りです。(* ^ー゜)ノ






 =装備紹介=

 ・上m44野戦服(迷彩) カンプバタリオン製
 ・下m42HBT野戦服  以下S&G製
 ・兵用ベルト、後期SSバックル
 ・MG42用 工具ポーチ
 ・Kar98k用 銃剣 (ハンドガンの 代わり)
 ・ガスマスクコンテナ
 ・ガスシートバック
 ・ヘルメット(規定ならデカールは禁止)
 ・兵用ジャックブーツ
 ・kar98k 写真を撮るためにあのデカブツを持ち たくなかったので代理武装


とりあえず手元にあるもので組んだだけなのでまだ足りない所がありますが
(被服に鷲章、軽装用サスペンダー等)とりあえず、暑いときはこの装備でサバゲーに参加したいですね。

10月9日よ、晴れろ!!!!!!!!!!!  ではまた( ̄▽ ̄;)

     

Posted by まろんぽこ  at 13:00Comments(2)SS

2016年10月04日

歩兵装備

みなさんこんにちは。中の人です。

もうすぐ台風18号が接近するみたいなので、注意しないといけませんね。笑

それはそうと、ドイツ軍SSの装備の私的な考察を今回は書きたいと思います。

 (ブログにのこして頭から忘れないようにするためにかきます)

一般歩兵装備




 弾薬パウチは基本、正面ベルトのバックルを挟む感じで両側に付けます。しかし、一個だけ装備している場合もあり、当時の写真をみると右側に
付けているものが多い。
 内装サスペンダーを付けている場合は特に調整はいらないが、重装サスペンダーを使用する際は、弾薬パウチを付けていない方の長さを調整する必要がある。

 左後ろには、スコップと銃剣をつり下げる。スコップをつり下げる場合は銃剣をスコップカバーの間に来るようにベルトを通して、ストラップでバラバラにならないように固定する。別に固定することは義務ではないが、固定していた方が動きやすい。

 右後ろにはパン袋を装着する。その際、水筒と飯盒を上のフックとしたのストラップ通して固定している場合が多い。必ずしも水筒と飯盒はつける必要はないが、水筒は装着している画像がおおいので付けた方がいいかもしれない。

 ガスマスクコンテナは肩からからかけ、やや左腰の上にくるあたりで、ベルトにフックをかけて固定する。この際、右肩にたすき掛けするのが一般的だが、逆にかけている画像も見受けられる。 たしかに、勲章、二級鉄十字章などに引っかかるので当時、そうした背景もよくわかる。また、ガスシートケースの装着方法もおもしろい。

規定ではガスマスクコンテナのストラップにガスシートケースの二か所のループに通して第二ボタンあたりに中心が来るように装備する、しかし私の経験上、腰のベルトのあたりまでよく落ちた。
 そのため、1940年3月18日に通達された方法を私はとっている。上のループにガスマスクコンテナのループを二回巻する方法である。
実際にこのようにまくとあまりずれないので私は重宝している。
 ほかにはガスマスクコンテナに直接皮ストラップでくっつける方法がある。
此の方が匍匐前進したり、小銃を構えるときに邪魔にならないので便利ですが、中期、後期装備するときしか私はこの方法をしないようにしている。
 ガスマスクコンテナに直接くっつける方法は違反なので、規定の厳しい前期は写真をみてもしている方はあんまりいないですからね。

 私が資料調べしていて新たに分かったことが一つある。それは上記のように装備はつければ付けるほど正しくなるわけではないということである。
例にサスペンダーをみてみると、着用している兵士は少ないのが当時の画像から見て取れる。
 重装用サスペンダーは確かに、重いものを装備するときの補助であり、重装備しないときは必要はないからである。
また、戦闘では、軽い方が機敏さが増して、戦闘力は高まり、生存率は高くなる。
 指揮官の支持や部隊の習慣で会敵時には荷物の大半は陣地や車両に置いて行ったと明記されていた。

 さて、装備をあまりつけないで戦闘していた兵がどんなものを身に着けていたか気になって調べてみた
私が調べたなかでは、弾薬パウチ、銃剣とガスマスクコンテナの着用率が高いように思われる。
また、ハンドガンなどのサイドアームの着用率も多い。
次に四半テントの布が見受けられる。重装サスペンダーにDリングをはめて結んでいる。
 パン袋はどうだろうか? 写真を見る限りそれ単体を装着しているより、銃剣やガスマスクコンテナ
を装備しているほうが多く見受けられる。どちらかと言うと上記とセットで装備している例が多い。
 確かに、戦闘をする際にパンや生活用品、そのた諸々など必要ないので、納得いく結果である。

 以上ぐだぐだ述べてきたが、銃剣、弾薬パウチ、ガスマスクの装備を基本にゲームにおける設定で
追加装備していくのが一番当時の装備らしくなるのではないか?という結論になった。現に装備を
追加するに比例して動きにくくなる。


 まだまだ初心者の私だが、ゲームに出て恥ずかしくないようにしていきたいと思います。
長文失礼しました。



  

Posted by まろんぽこ  at 14:31Comments(0)SS