2016年10月19日

M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)

M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)


 あさがきた~。食ベ物のおいしい秋が来た~
 今日もげんきもりもりリ~、いっぱい食べた、でぶでぶりんのポこちゃんだす。
今回はSSをはじめてようやくできた自分の野戦服について書いていくよ―――――――――


M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)


M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)




設定としては、1939年の東部戦線、ラプシュタルダーテ・アドルフヒトラー師団の上等兵にしました。

一級鉄十字章がついていますが、これは部屋においておき、紛失してはこまるので付けているだけです。
                 サバゲー時などは外します。

ではこの服装をするにあたってのうんちくをレポートとしてまとめておきましたので、列記します。


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武装SS隊員数が急増した1939年末には、 武装SSは陸軍が着用しているM36野戦服の大量採用することを余儀なくなった。M36野戦服にSSの徽章をつけた野戦服が1939年から支給されるようになり、この野戦服をM40野戦服と呼んでいる。実情は陸軍M36野戦服の使いまわしになっているため、陸軍の襟のでダークグリーンになっている物もある、陸軍野戦服も1940年以降に生産された物は襟がフィールドグレーになっている。SS被服工場でも、M40野戦服に準じた野戦服が製造されていたため、武装SS用として襟をフィールドグレーにして製作していた。
もともとSS被服工場は、ダッハウ強制収容所にしかなかったが、1940年にラーフェンスブリュック強制収容所にも置かれるようになったため、第二次世界大戦のときに収めた勝利によって占領地にもSS被服工場が続々と置かれるようになった。そして1941年にはSS被服生産体制が整ったため、陸軍に頼ることなくSS独自で野戦服を支給できるようになった。いまから武装親衛隊員(上等兵)のM36野戦服について考察していく。
 
M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)


1940年の東部戦線時における二級鉄十字章の勲章授与式の写真である。
実際に当時の武装親衛隊兵士はM36野戦服を着用していた事が見て取れる。これから細部について順に見ていく。


M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)



 ➀カフタイトル (ライプシュタンダンルテSSアドルフヒトラー” LAH)
このLAHのカフタイトルの様に、部隊名を記した物を付ける事は名誉であり、訓練前の兵には付ける事が許されていなかった。したがって、これらのカフタイトルは部隊で付けられたと言われている。(訓練終了後にカフタイトル付きの被服が支給されるので、製造段階で付けたとする説もある。)また、名誉を損なう様な行為が行なわれた場合には、カフタイトルを剥奪される事があった。通常カフタイトルは、右袖の下から15cmの位置に付ける事とされていたが、当時の写真 を見ると必ずしも正確には守られてはいなかった。
また、RZMタイプのLAHのカフタイトルもあり、これは2ndタイプとされるカフタイトルで、1934年5月5日に導入された1stタイプのカフタイトルに刺繍されていた文字は、
筆記体では無くゴシック体であった。つまり、1939年装備は初期型を選択する必要があると言える。                                    

 
M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)



 ②アドラー(国家鷲章)
 LAH初期の国家鷲章
1935年の中頃に登場した、SSVT用のI型野戦被服鷲章で、上のモール刺繍製が将校用、下のウール地に機械刺繍で作られた物は下士官・兵用である。この鷲章の制定は1936年3月であった。 前述の様にこの鷲章は、武装SSの前身となったSSVTの被服に付けられた物で、LAH用に作られた訳ではない。デザインは国防軍の国家鷲章と異なるが、SSは正規軍では無いため、国防軍の国家鷲章を使用する事ができず、ドイツ国鉄用の物であった鷲章を流用したためであったと言われている。SSの黒服にはドイツ国旗を模した、赤地に白丸、白丸の中に黒のスワスチカを配した腕章が付けられており、SSの戦闘部隊はこの腕章の上下に黒い線を付けた物が使用されていた。

比較的初期(1936~37年頃)から見られる刺繍タイプのII型のSS下士官・兵用国家鷲章。この国家鷲章は、黒のウール台布に、レーヨンの白糸で刺繍されている。SSの国家鷲章にも多くのバリエーションが存在するが、刺繍タイプの他にBEVOタイプも作られていた。

機械刺繍II型のバリエーション。
黒のウール台布に、レーヨンのライトグレーの糸で刺繍されたSS用の国家鷲章。
胴体の太さや羽の形状も異なるが、この刺繍タイプII型はバリエーションが多く存在する。

 下士官・兵用国家鷲章(BEVOタイプ)
1939年頃に登場した、BEVOタイプの下士官・兵用鷲章。 黒地にライトグレーの織り出しで、将校用にはシルバーの糸が使われていた。画像下は1942年頃に登場した熱帯服用、BEVOタイプの下士官・兵用鷲章。このSS用国家鷲章は、黒の台布にイエロータン色のレーヨン糸で織り出されているが、熱帯服以外に44年型迷彩服にも付けられていた。未使用のBEVOタイプのSS用国家鷲章には、裏側にRZMの紙タグが貼られている。
 以上より1940年装備はBEVOタイプを選択すると適切であると考えられる。

③階級章
 階級章に関しては基本は普通の武装親衛隊の規定どおりに襟章、肩章、Vシェロン、カフタイトルを付ければよい。徽章を縫い付ける際、アドラーとVシェロンの隙間は2センチ、カフタイトルは袖下から15センチの所に配置するなどと規定があるので、その辺は注意する必要がある。ただし、LAH師団の肩章は他と異なる。                                                                

M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)



M40(M36)野戦服(東部戦線 1939年 LAH師団)




④肩章(LAH師団)
兵用肩章(4型)LAHの肩章は最初に採用された1型の縁取り付きの角型肩章で、2型はラウンドタイプになったが、肩章の縁取りは黒と白のより紐が使われていた。
 その後採用された3型は縁取りのない角型肩章で、この服につけられている肩章は4型ということになる。この肩章は、1938年末から1939年初頭にかけて導入されたと思われるが、1939年12月にはLAHの文字が小さく、フォントも異なる新型肩章が導入された。                           
  下士官、兵用スリップオンタブ                                                                                                             
SS歩兵科兵卒用の1942年型肩章と、LAHのスリップオンタブ。LAHの組み文字は初期においては肩章に直に刺繍されていたが、防諜上の理由で脱着式の物が採用されたと言われている。しかし、実際には袖のカフタイトルでも部隊を特定できるので、脱着式にしても意味は無く、おそらく生産性が理由であったと思われる。 事実写真で見る限り、末期においても多くの兵は、前線でこのスリップオンタブを誇らしげに着けていた。以上より1939年装備をするにあたっては、刺繍タイプ(4型)を選択するのが適切だといえる。


以上より、カフタイトルに関しては初期型を、アドラー(国家鷲章)に関してはBEVOタイプを、肩章に関しては、刺繍タイプ4型を
 選択すればいい結論が出た。


今から寒くなっていくので、この服が活躍できますね。ではまた





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Posted by まろんぽこ  at 09:57 │Comments(0)SS

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